2018 謹賀新年

2018年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。

さて、年末の話ではありますが、木曽町で計画されている庁舎のコンペ結果が発表されました。
実は私も参加しておりましたが、1次審査を通過できずという結果でした。
なので、2次審査は気楽に結果を楽しみにしておりました。
そして、その結果を見てあらためてコンペの難しさと理不尽さ感じました。
1次も通過してない分際で、とやかく言うつもりもないのですが
少し残念な気持ちになりました。アイキャッチ画像は提出案です。

近年、求められている公共は、特に現状の日本の世論というのは
とかくリスクを避ける傾向が強いように思います。
インターネットの発達によって、情報を手軽に扱えている割に
文化や思想というレベルでの、発達や発展がまるで逆行しているように思えます。
建築は特にモノづくりという側面が強いので、物質というリアルと向き合う世界です。
それは、今のIT社会の側面とそぐわない部分が多々あります。
どんなに、バーチャル空間が素晴らしくなったとしても、建築そのものを電子化することは、現状不可能です。
それができたら、『マトリックス』が現実化しますが・・・。
人間もまた、電子化することが不可能である限り、建築はリアルな素材と向き合わずには存在出来ません。
それが、建築の特性の一つであり、インスタ映え建築はインスタの中で映えるだけで、リアルな世界と切り離されています。
建築が写真だけで理解できるのであれば、それは既に建築ではなく建築写真としての評価でしかない。
建築は、地球上のその一点にしか存在しない空気感を作り出し、そこに身を置くことで初めて知覚できることだと
定義すると写真はその複製物であり、建築そのものではない。
住宅を作っていて思うのは、住むという行為はリアルの連続ということです。
そして、その世界では質感という情報の方が重要で、それを写真に写そうとするのは不可能ではないが
それ相応の技術をもって撮らないと写らない部分であるということです。

ハウスメーカーの家は、あまり建築雑誌には載っていません。
ハウスメーカーの展示場が、建築として語られる場面は、そう多くはないです。
多くの展示場は、イメージを提示しているのであって、ある種ユーサーが自信で増幅することで商品化していく。
故に建築というリアルから決別することで成り立っているように、僕には見えます。

ハウスメーカー自体を否定するつもりはありませんが、私が自分の建築を作りたいと思った動機の一つに
住宅は建築の原点であるということを突き詰めたいということ。
それはある意味、商品としての住宅から離れることを意味します。
そして同時に様々なリスクを内包することになります。
商品化とは幾つものプロトタイプを検証し、改良を加えながらエラーやバグ、所謂リスクを取り除いたものです。
しかし、僕の考える建築の作り方というのは、そのプロトタイプ自体を、限られたコストの中で
その場限りのメンバーで作り上げるという商品化と正反対の性質を持つものだということです。
それが、唯一無二の建築という価値にも繋がります。

最近は建築(のような)住宅は、画像でいくらでも探せるので、その断片的な画像を携えて
設計事務所に依頼することの敷居は下がっていると思いますが、商品化住宅の作り方との違いを
理解していない場合がほとんどではないかと思います。
それは設計する側も同じで、僕と話が合わない設計者も現実にたくさん存在します。
単純にコストの問題と捉える人もいます。
建築思想として根本的な問題なので、僕の考えが普遍的とは言えないでしょう。

ただ、僕の思想を理解できない人が、編集作業のように断片写真を切り貼りするべく、僕に依頼するのは間違っています。
僕の判断に委ねることが出来ない人達とは、テーブル1つだって作ることが出来ない。
設計とは決定の連続であり、その決定の中に全ての技術の集約がある。
一人の人間の決定の集積が建築の質を決めるというのが、僕の持論。

そういう作り方をすることで、はじめて住宅という建築の価値を付加するのだということに、気付かされた2017。
年初に宣言した作品は、全く形にならずに水泡と期しましたが、今年は再度チャレンジ出来る環境にあります。

リスクを最大限回避したい時代に、このようなつくり方がどこまで通用するのか分からないが
僕はあらためて、そういう生き方を選び、そこに生きがいを感じます。
僕が生きていける限りは、その生き方が許されていると、支えてくれる全ての人と環境に感謝をして
2018年始動します。

TNdesign 代表 小澤伸行。

↓今年の初詣は久しぶりに新海三社神社です。国の重要文化財の三重塔。建立は1515年だそうです。築503年目 凄いなぁ