2003年9月号

ブログでも度々登場している美術館、「安曇野高橋節郎記念美術館」の新建築掲載号は
2003年の9月号、今から15年ほど前になります。
ちなみに画像は同号掲載の槇事務所設計の福井県立図書館です。
建築専門誌「新建築」を毎号財布と相談しながら定期購入していた時代でしたが、さすがに15年も経つと結構な量となり
スキャンをして電子化しました。
資料として確認するために、久しぶりに誌面を見てみると、どれも挑戦的で刺激的な建築がありました。
青山の「プラダ」や原さんの「キナーレ」、隈さんの「梅窓院」、もう亡くなってしまいましたが小島さんの「スペースブロックハノイ」
という錚々たるラインアップは、もう当時の僕にはたまらないものでした。
その頃の自分は、ちょうど建築を志して作れるものは何なのかを模索しながら憧れと現実のハザマで揺れ動いていました。
見るもの全てが眩くて、誌面にある建築のほとんどを現地で確認して、写真と本物の迫力の違いを感じ
想像を超えるパワーに圧倒され、より強く建築の魅力にハマっていました。
そこには、僕の原点のような建築がたくさんあって、今になって自分の創る建築観のルーツのように感じます。
誰しも、どんな世界であっても、最初は魅せられることから始まり、知識を深めながら世界を知り、そしてその先を想像することで
自分の世界観が出来ていくように思います。
そして、今度はそれを表現したい欲求に駆られます。それが、モノを創ることへの源泉にほかならないと僕は思います。
建築は経済活動の一環であるのは、間違いがないですが、それだけで建築は作れないし、そんな建築に魅力は生まれない。
魅力のない建築は、結局はストックになりきれずに捨てられてしまう。

では、魅力のある建築とは何なのか。
実はそれを一言で説明する術を僕はもっていない。
説明をすることももちろん、創ることでさえおぼろげながら、こんな方向性がいいんじゃないかぐらいなもんです。今の僕が出来ることは。
それくらい建築は懐が深くて、正解なんて星の数ほどあると思います。
お金をかければ簡単に魅力的になるんじゃないのという人も多いと思いますが
例えば、ドバイのお金持ちの住宅が世界遺産に登録されると思うでしょうか。
そこにどんな魅力を生み出すかは、お金の多寡では測れないからこそ、建築は面白いと思います。

先日、TVでお笑いをデータ的に分析する東大出身のお笑い芸人が出演していました。
その分析は確かに素晴らしいことですが、その結果で、その芸人が面白いかどうかは未知数です。
ある先輩芸人の言葉として、「分析できない面白さがお笑いにはある」と言っていました。
それは、全ての芸術に共通する事だと思います。
分析できない何かを持っているのが、魅力ということでしょうか。
そしてそれは、お金を使うと近づくことは出来るけれど、必ず獲得できるものではないということ。
誰しもが簡単に到達できるものに、魅力は生まれないということは言えると思います。

僕の過去の作品たちも、現在進行中のプロジェクトもおよそスムーズとは言えない仕事の進みです。
それは僕が能力不足であることも原因の一つでしょうが、それよりもいかにして魅力的になるかの方が
僕にとっては重要なのだと、何とか周囲の理解を得ているのが現状です。
クライアントにとっても僕にとっても、それは人生で一度あるかないかの一大事業だと思います。
それをハウスメーカーで2,3ヶ月で終えてしまう方が、つまらないと思うのは僕だけじゃないはず。
大変さがあるから出来た時に喜びも大きいのだし、谷があるから山が尊いのだと思います。
出来るか出来ないかわからないけれど、わからないなりにもがいていく事で見える景色もあるでしょう。
それは、経験したものにしかわからない特権と思えば、価値のあるモノになるんじゃないかな・・・。