2005/09/17 作家性
建築に関する作家性の問題は一般的にはどう捉えられているのだろうか。
建築を芸術と見るか、機能的な装置と見るか。
不動産の観点からだと資産になる。
不動産に限って言えば、時間を経るごとに償却されていき最終的に価値はなくなる。
芸術的な側面からだと、デザインが評価されたり有名になればそれは価値が高まる。
そしてそれは時間軸とは関係なくなされる。今評価を受けなくても後に評価が高まる場合もある。
装置に関して言えば、機能を充足するためにのみ存在する。
その機能を満たさなければたとえ新築であっても、価値はないと言えるだろう。
作家性は芸術的な側面にのみ適用できそうだが、それだけではない。
建築のあり方は常にそれぞれの軸を一次元的ではなく三次元的あるいは複合的に決まるもので、その評価もさまざまだ。
しかし、ある意味それが連動しているときも多々ある。
それは使用頻度と強度の関係に言える。
繊細なデザインは、使う人間を選ぶ。
使う人間を選ばないデザインは繊細にはなりえないと思っている。
だからこそ、それが成立しているのであって、成立させる努力なしにはなしえない。
デザインが極められればそれだけ、対象がピンポイントになっていくのは当然。
だからこそ、万人に使用できるものではなく、選ばれた人間に与えられると言える。
その点では公共建築は難しい。タテマエ上は万人に合わせなければならない。
以前に札幌ドームに訪れたときのこと。
テラスの手摺がガラスになっているのですが、となりのおじさんが何を思ったのか
突然思いっきり蹴りだしました。それも数回・・・。
それで一言「結構丈夫だね」
・・・・・・・
はっきり言ってそんなことにまで対応するべきなのか。
それで割れてしまったら、弱いといって文句を言うのか。
その人間の行動自体に問題があると言えるが、現実にそういうことをする人間がいるということに大変驚いた覚えがあります。
だから、ユニバーサルデザインが前衛になれるのなら、それはものすごい発明だと思う。
ハウスメーカーはプレハブが基本なので合理化が大前提である。
しかしユーザーの購買意欲をかきたてるためにほとんどがオプション化していき当の昔に自己矛盾している。
難波先生の箱の家はそういう矛盾に対する批評なのだと思う。
だからある意味難波先生がハウスメーカーとも言える。
建築家の作家性は、かき消そうとしてもかき消せない、そういうたぐいのものだとすれば、現代の住宅のクライアントはどう感じるのか。
求めているものは、批評性だという言説を読んでみたが、いまだ結論は見えない。
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