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2006/10/05 住宅という建築

久しぶりに読書
本は「中野本町の家」。
約10年くらい前の本。
以前購入しようと思ったら品切れになっていて、絶版になっていたと思ったら
偶然本屋で遭遇。
最近になって再販されたみたい。
面白くて一気に読み終えてしまった。ボリュームか少ないのもあるけど。
ここには、若き建築家の情熱と住宅を欲した施主の葛藤が克明に記されている。
建築家と呼ばれる人間ならば、それは誰しもが表現者にほかならない。
表現者なのだから、そこに独自の価値観が挿入されているし、そうでなければ
建築家とすら呼ばれない。
しかし、その価値が施主にとって有益なのかどうなのか。
そこに建築家の存在価値を見いだす事も出来るが、批判を浴びる原因にもなっている。

「建築家」というのは日本ではその定義が極めて曖昧だ。
私自身、建築家と呼ばれる事に抵抗がある。
私はそんなに大家ではない。
逆を言うと大家である人が建築家と呼ばれるべきだ。

日本にはあまりに多くの「建築家」がいると思う。
価値のある作品を創れる人はそう多くはいない。

最近は建築家ブームらしく、至る所に建築家という肩書きで商業的な動きがある。
私も少なからずそういう所に関わった事があるが、何か危機感を感じる。
”デザイナーズマンション”という商品が一人歩きしたように、”建築家”という新たな商品が消費されている気がする。
以前であれば、建築学会賞の新人賞が40代の半ば位の人がもらっていたから、そこで初めて自他共に認める建築家という称号をもらえていた気がする。それはそれで、非常に偏った考えでもあるけれど。
でも、今の状況は明らかにそのハードルが下がりすぎて、石を投げたら建築家に当たりそうな勢いだ。

だいぶ脱線してしまったが、中野本町の家はもう存在しない。
存在しないものは、その抽象性を著しく増大させるので、だれも住宅としては語りはしない。
磯崎さんはだから自分の住宅作品を絶対壊されそうもないところに再建したのだと思う。
住宅が抽象性を持つ事が難しいからこそ、抽象性に意味がある。
その抽象性を維持出来なくなったら、施主としても建築としても終わりだ。
だから「中野本町の家」は失われた。
抽象性はそれほどに過酷であり、魅力的なものだ。
伊東さんが抽象性の追求から別な方向を向いている事はこの住宅の解体と無関係ではないだろう。

住宅はかつて建築としては認められていなかった。伊東さんより上の世代は間違いなくそうだと思う。
しかし、伊東さんや安藤さんが住宅を建築にしてしまった。というよりもするしかなかったのかもしれない。
では、それによって日本の建築文化レベルが飛躍的に上がったかというとそうではないと思う。
やはり建築と呼べる住宅の価値を理解出来る施主はわずかだったに違いない。
つまりマイノリティだと言う事だ。
作品であるから、それは当然と言えば当然。
そう考えると、本当の意味で”建築家”という人間はその辺にいる者ではないということだ。
趣味人と言ってもいいだろう。自分も含めて。

ただし、趣味人を侮ってはいけない。究極の趣味が芸術だとするならば
それは、本物と紙一重なのだから・・・

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