TNデザイン一級建築設計事務所

めも_20110915

 

Photo:atelier bow-wow, four boxes gallery, krabbesholm højskole, skive, denmark 2009 by seier+seier

批評や論評をするということは、設計をする上ではあまり必要の無いことかもしれない。

批評や論評をする前に、まずはやってみるということ。
やってみると、その本質がどうなのかを身を持って体感することができる。

それがいかに重要で壮大な行為であるかということを。

しかし、その結果を自分自身で批評、論評する姿勢は必要なことかもしれない。
世の中の出来事を、明瞭にとらえて整理し、説得するために構築されたものは
一見すると、とてもスマートで現代的な手法であるかもしれない。
けれど、合理的で能率的であるがゆえに、そのプロセスに至る様々なことを
切り捨て、手間をどんどん省いていくことになる。
何かを考え、産み出そうとするならば、考えれば考えるほどわからなくなるのは
正常なことであるということを、ある文を目にしてから知った。
能率的な行為から程遠いこの作業は、一般的なビジネス思考からは
異常に見えるので、自分でも余計に迷うことになる。

本質というのは、極めて抽象的であると思うのだが、その抽象を理解するには
とても読解力を要求される行為でもある。
分かりやすさを追求することは、必ずしも本質の追求に役立つとは限らない。

一つのアイディアが、直線的に何の曲折もなく、一瞬で本質に迫る行為は
現実にはそうあるものではない。
なんらかの問題を、時には避け、時には飛び越えながら、徐々に迫るのが
常であろう。

本質に迫れそうな案が例えばあったとして、それを理解してもらうには
そのままでは、恐らく抽象的読解力が相当高い人にしか、理解してもらえない場合にのみ

プレゼンテーションという論理的かつ、分かりやすい説明が有効になる。
それ以外には、そんな事に時間を割くことすら無駄かもしれない。
むしろ、その本質に迫る為の時間に割くべき。

日本人が型から入るのは、民族としての特性なのかもしれないが

型から入って、型から本質に迫ろうという姿勢がなくなった時点で
それは形骸化してしまう。
型から本質に迫ったとしても、本質から型が生まれてもそれは
どちらも本質に触れているという事実においては等価値である。
型から型を生み出すことで満足していてはいけない。[:en]批評や論評をするということは、設計をする上ではあまり必要の無いことかもしれない。

批評や論評をする前に、まずはやってみるということ。
やってみると、その本質がどうなのかを身を持って体感することができる。

それがいかに重要で壮大な行為であるかということを。

しかし、その結果を自分自身で批評、論評する姿勢は必要なことかもしれない。
世の中の出来事を、明瞭にとらえて整理し、説得するために構築されたものは
一見すると、とてもスマートで現代的な手法であるかもしれない。
けれど、合理的で能率的であるがゆえに、そのプロセスに至る様々なことを
切り捨て、手間をどんどん省いていくことになる。
何かを考え、産み出そうとするならば、考えれば考えるほどわからなくなるのは
正常なことであるということを、ある文を目にしてから知った。
能率的な行為から程遠いこの作業は、一般的なビジネス思考からは
異常に見えるので、自分でも余計に迷うことになる。

本質というのは、極めて抽象的であると思うのだが、その抽象を理解するには
とても読解力を要求される行為でもある。
分かりやすさを追求することは、必ずしも本質の追求に役立つとは限らない。

一つのアイディアが、直線的に何の曲折もなく、一瞬で本質に迫る行為は
現実にはそうあるものではない。
なんらかの問題を、時には避け、時には飛び越えながら、徐々に迫るのが
常であろう。

本質に迫れそうな案が例えばあったとして、それを理解してもらうには
そのままでは、恐らく抽象的読解力が相当高い人にしか、理解してもらえない場合にのみ

プレゼンテーションという論理的かつ、分かりやすい説明が有効になる。
それ以外には、そんな事に時間を割くことすら無駄かもしれない。
むしろ、その本質に迫る為の時間に割くべき。

日本人が型から入るのは、民族としての特性なのかもしれないが

型から入って、型から本質に迫ろうという姿勢がなくなった時点で
それは形骸化してしまう。
型から本質に迫ったとしても、本質から型が生まれてもそれは
どちらも本質に触れているという事実においては等価値である。
型から型を生み出すことで満足していてはいけない。