M2配筋検査

構造家と一緒に基礎の配筋検査です。今回はフーチング配筋ですが、さして問題もなく。ただ建物の荷重は全てこのフーチングの皆さんが受け止めるので、決して疎かには出来ないのでございます。今回は優秀な現場監督のお陰で順調に工事が進んでおります。ちなみにフーチングというのは和製英語だそうで、英語のfootingは足の裏という意味があります。建築の足ですね。最近の住宅はベタ基礎が多いですが、ベタ基礎にはフーチングは基本的にないので、ここでは独立基礎という形式になります。基礎形式で耐震性の優劣がないのは言うまでもないですが、ベタ基礎だから地震に強いとか布基礎や独立基礎はダメとか言う人が、ネットの世界ではいるようです。設計というのは、そんなに単純ではなくて耐震性で言うならば、設計基準というものがあってそれに対して工学的な判断をしているのであって、この手法が○か×かみたいなことでは決してない。何よりコストや性能さらには地域の環境等、決定を左右するパラメーターが沢山ある中での判断をしなければならない。そのような設計者がいない現場は知らないけれど。お向かいの土地にも某ハウスメーカーの住宅の工事が始まっております。工期の速さでは、多分あっという間に抜かれてしまうことが予想されます。なんか、ウサギと亀みたいな様…

showroom

M2-houseはタイル空間という事もあって、素材選びを慎重にしないとクライアントと認識を共有できないので、設備機器の選定の確認を含めて、東京の青山周辺へクライアントと出向きました。偶然、使ったことのないメーカーのカタログが直前に届いてショールームが近い場所だったので、予備で予定を組みましたが、これがなかなかのヒット。私もクライアントも納得のいく素材を見つけることができました。事前に準備したモノよりも、スッとスキマに入り込むようにやってきた素材がしっくりしてしまうというのは、モノ作りのなかにいるとよくあるのですが、恐らくそれは常にデザインが現在進行形で動いているという意識の表れだと感じます。どんなプロジェクトも機を熟していくタイミングがあり、それは世の中の動きと密接です。例えば、あったらいいなと思っていた新しい商品が出るタイミングに出会えたとか。あとはこのプロジェクトをきっかけに商品を開発するとか、無くなることもある。そんなモノは予定調和では絶対に生まれないわけで、いろいろモガイタ結果の偶然。偶然を必然に引寄せることが出来れば、きっとそれが巨匠・・・。少しでも建築としての価値を上げる努力は、これからもしていきたい。…

甲府竜王駅

甲府に行ったので、安藤さんの竜王駅に寄ってみた。丹下さんの山梨文化会館も行きたかったけど、気付いた時には日が暮れていた。安藤さんと言えば、中之島に図書館を作るらしいのだが、その設計費と工事費を事務所が負担するらしい。運営費は個人や企業からの寄付が基本のようです。そのニュースを聞いて、その偉大さに感動したのはもちろんのこと、何か壮大なドラマを見たような気持ちになりました。中之島と言えば、有名なタマゴ案を思い出しますが、もともと依頼がある仕事ではなく、他にも大阪駅の屋上緑化とか、若い頃の安藤さんは色々提案しては無視されます。その後10メートル模型や巻物状の図面など、何十年にも渡ってひたすら中之島へのANDO計画をつくり続けています。そして、遂に自身の寄付で図書館を創り上げようとするこの凄さは、並大抵の精神力ではない。最近では大病もされたようだし、国立競技場コンペの件で批判を浴びたり、とても順風満帆には(僕個人の主観です)見えない中で、これほどの想いを持ち続けることの凄さを知っておくべきだと僕は思う。一方で、こんなハコモノはいらないという意見も少なからずあるようで。あるブログでこのことを批判している記事を見ました。その主旨は、昨今の活字離れを憂いて図書館をつくるなんて飛躍しすぎで、建築的な…

M2現場

現在施行中のM2現場。地盤改良が終って、基礎の配筋と型枠を施行中。ほぼ敷地いっぱいに建つ予定の計画なので、あらためて見ると大きい住宅。現場を片付けながら談笑している職人さんの傍で、ふと過去の思考のプロセスを逆再生しながら、自分の構想と現実の建築を調整してみる。この敷地で何案考えただろう。たくさん考えて、図面も書いたのだけれど、実現できるのは一案です。一案だけ考えて良いもの作れるほど、僕は天才ではないので、凡人なりに案を作りまくりなのが日常です。最終案は以外にも簡単そうなプランに見えてしまうのは不思議。あるプロカメラマンが、プロは目指したレベルに一瞬でたどり着く。素人はたくさんの中からチョイスする。と語っていました。その意味では、僕の思考は素人っぽいかもしれません。今どきのスマートさもないかも。でも、時々これが極端に少ない思考で、たどり着く時もあります。俗に言う、降りてきたとか降ってきたとかいうヤツです。ほとんどの場合は次の日に勘違いに気付くので、振り出しに戻りますが。建築が実現しないと建築家としては、なかなか評価をしてもらえません。でも、アンビルドな建築をどれだけ真剣に考えられるかということも、重要なんじゃないかなとも思います。その思考の厚みによって、最終的に判断されたものに奥行きと…

design A

週末のとっても暑い日に行ってきました。「デザインあ展」デザインといっても多岐にわたるのですが、どんなデザインでもわかりやすさというのは、一つの指標でもあると思います。ただ、一方で分かりやすいだけのデザインが優れているかというと、それはちょっと違うかなと思います。分かりやすいというのは、とても大事な要素ではあるのだけれども、その奥にある「これだよね」感が無いことには、なんとなく薄っぺらく感じます。このデザイン展のデザインは、それぞれ著名なデザイナーの作品でもあるのですが、子供にも分かるようなデザインでありながら、それを読解していくと実は広大な奥行きをもって成立しているということに気付かされるという究極のデザインでもあったりするのです。デザインは誰でもできるけれど、誰にもできないのが、いいデザインなのかなと思ったりもします。娘もデザインの楽しさに触れているようで嬉しい。いい作品がつくれるといいね。…

ゲンチョウ

ゲンチョウとは現場調査のことであります。現場に行くことが増えると、BLOGの更新頻度が途端に増えるという、分かりやすい人間です。設計というと机にしがみついて、マウスをカチカチしながら画面を見つめるという光景を想像しがちですが現場をウロウロ歩き回ることで得られる情報と思考は重要で、なにより楽しい。外に出て土ほって走り回るのが楽しいのは、大人も子供も変わらないということか・・・。敷地を見て、未来の建築を妄想する。妄想するだけで終わってしまうと悲しいが、実現したらそれは妄想ではなくなる。実現できそうなことや逆に突拍子もない極端な妄想は結構簡単だけどできるかできないかわからないけど、ここだったらこれがベストって思えるものを妄想するのは、あんまり簡単じゃない。夢を語れば大きくなりすぎて、リアリティなくなるけど、こんなモノなら以外にいけるんじゃない・・・くらいの。届きそうで届かない。でも、少しジャンプすれば届く・・・かもしれないという感じ。常にちょっとだけジャンプ・・・したい。…

じちんさい

M2-houseの地鎮祭を行ないました。約2年半、ついにここまでたどり着いたという感じです。 時間がかかることは決していいことでは無いけれど、ただ無駄に過ごしてきた訳でもない。なやんで、もがいて、知恵をしぼって、今の自分にできる最善のモノを。泥臭くても最高のものができるならば、それが何より大事。でも、どんなに僕が価値を信じてつくった建築であっても、理解されなければそれは虚しいただの建設。設計を依頼されるということは、その人を思いながら建築を考えるということ。建築家としてどう振る舞うかも重要だけど、やっぱり、その人が何を望み、どうなりたいのか。そして、そのクライアントの期待をわずかでもいいから、超えていきたいと常に思う。そうやって一つ一つ丁寧に作ることが、僕の人生そのものだ。できた建築に、またクライントご家族の人生が絡み合って・・・そしていい思い出を残していけたら、それは素敵なこと。そうなれるように、もうひとがんばり。思考との格闘から物質との格闘へ・・・。…

kanazawa

金沢に行ってきた。21世紀美術館は僕の建築家人生のスタートとほぼ同時期に完成しているので、特別な思いがある。もう何度も訪れているが、娘も一緒なのは9年ぶり。今回は事前に図面を読み込んで、新たな感覚で挑んでみた。2004年竣工なので、もう15年になるが今でも輝いて見えるのが嬉しい。平面にこだわるSANAAらしく、「まる」というアイコンは地図で見ても異彩を放つ。これだけの大きな「まる」は、ありそうで無い。大型連休の真ん中で混んでいるのは予想していたが、想像以上の人混み。長い行列に並んで有料スペースを見る元気はなく、無料スペースで建築を体感。こんな建築を無料でいつでも体感できる金沢市民に軽い嫉妬を覚えながら早々に切り上げて、別の場所へ。午前中は兼六園を見ていたのだけれど、金沢城公園の玉泉院丸庭園にも行ってみた。そしてそこから、ひがし茶屋街へ。日本庭園や伝統的な文化や建築と、近代建築の美術館や先鋭的アートが共存している金沢に、あらためて感心します。その懐の深さをもう少し長野にももってもらえたらいいのになぁ。…

けんちくのはじまり

気がつくと冬の気配が遠ざかり、春の足音が聞こえる今日このごろ。少しだけ、けんちくのはじまりが見えてきました。まだまだ予断は許せないけれど、どうにかなりそうなところまではたどり着いた感じ。もしかしたら、当事者(クライアントを含め)以外にはこの「悶々」とした日々を過ごした気持ちは理解されないかもしれないし、そんな当たり前のことを自慢げに語られても・・・と思うかもしれない。でも、限られた予算のなかで最大限の価値をという永遠の課題は、突き詰めればブラック企業のような過酷な労働だったり、不当な待遇を強いることにつながるわけで、そんな状況を変えるためには、少しでも新しい提案を受け入れる柔軟性を持っている人たちと仕事をしていかなければ、先はない。少なくとも僕の立場はクライアントの利益を高めるために存在はしているが、それが全てではない。社会的に意味のある活動をしたり、僕自身の作家としての仕事を全うすることが大前提だと思っている。そういう思いが理解できる人たちとモノを作っていけるといいが、そんな人に出会える確率はあまり高くはない。ただ、悲観もそんなにはしていない。それは今までの僕の活動を応援してくれる人たちもいるからだ。「あきらめない」ことを実行することは、口で言うほど簡単なことではない。結果が見えて…