Category Archives: 2019

M2現場-その2

工事もいよいよ賑やかになってきました。様々な問題を何事も無かったかのごとく装いながら、少しずつ進んでいます。一つの工程で劇的に空間が変化するときもあれば、一目では分からないけれど重要な作業をこなしながら、形になっていきます。料理でも一手間かければ、見違えるように、建築の施工においてもそれは一緒。ヒト手間の積み重ねによって、行き着くところは全く違うモノになってしまうのは、どんな世界にも言えると思います。こちらとしては、全てにおいて手間をかけて貰いたいけれど、そもそも職人としては手間がかからない方が良いに決まっている。だからこそ、手間の価値があることが表れるように考えないといけない。どこに重点があるかを判断するのも、やはり現場監督をはじめとする施工する人達とのやり取りの中で決断していかなければならない。やるべき事なのか、そうじゃないのか、自問自答する日々です。…

M2現場

鉄骨の建方がほぼ終わり、空間のボリュームが現れてきました。フレームの状態というのは、建築の振る舞いに関わらず、まさに素の状態に近いので、とてもダイナミックで魅力的だと思います。ここから通常はどんどん閉鎖的になっていき、ダイナミックさと引換えに建築としての機能を満たすべく、空間が変化していきます。建築は基本的に機能が必要ではありますが、機能を無視した建築は、建築ではないかというと、そうでもないと僕は思う。ただ、意図的にそういうものを作るのは、社会的な背景とか、環境の問題とかで、非常に難しいとは思います。ムダという指摘は容易で安直だから・・・。空間は英語でspace、つまり宇宙。かつて宇宙にはエーテルと呼ばれる物質で満たされていると信じられていた。今はもちろん否定されているが、エーテルではない何かが満たされている美しい空間はきっと存在する。そんな空間を僕は作りたい。…

M2建方

昨今のハイテンションボルト不足の事態の最中に、建方が出来ちゃう幸せな現場です。もう去年の初めくらいからボルト問題はずっとくすぶり続けて、今もまだ続いているようです。今年に入って、何とかボルトだけは確保してもらうことが出来ました。RC造からの計画変更という経緯もあって、ボルトの為に設計変更は許されない状況のなか、本当に感謝します。ボルト不足が一向に解消されない原因は、何故なのかを施工会社や鉄骨業者に聞いてみても納得する回答を得られないのですが、施工会社が計画している案件については、工期を約束しないことで対応しているそうです。この現場に関しては、無事に建方に辿り着いたので一安心ですが、今後の計画には影響を受ける可能性があるので、他人事ではありません。 ただ、今は長い間の構想が現実化して行く中、リアルな物質との格闘を楽しみながら建築に携わっている幸せを噛み締めております。伊勢に行ってから、起こること全てに幸せを感じてしまう・・・。 良い事も悪い事も全てに意味があるのだ。そして、あの時の悔しい気持ちは、この時の為にあったんだと。…

お伊勢参り

週末に行って来ました。初めての伊勢神宮です。出雲と伊勢は行っとかないとと勝手に思っておりましたので、ようやくです。今年は令和元年でもあり、機会としてはよろしいかと。天気はあまり良くなくて、小雨が降っていましたがそれはそれで、何かしら意味があることだと思えました。とてもよかったので、二日目も外宮と内宮の御正宮だけですが、お参りしました。たまたま奉納されていた能楽も見れたし。ちなみに神宮に御参りすること自体が大吉なので、おみくじは無いそうです。帰ってからいろんな資料あさってたら(行く前にしとけ)、自分にとっての伊勢は平面図の印象が強くて思ってた印象と大分違っていたということを再発見。一般的には、あの全貌を体感する事がほとんど出来ない。それくらい神聖なものなんだけれど。体感するには、宮大工になるしかないな。…

M2鉄骨製品検査

うーん、やっとここまで来ましたか。長いようで短いような。鉄骨の工場検査でございます。建物の安全を考える人、お金の心配する人、意匠を気にする人、納期を気にする人、色々な役割の人がいて。時にそれは同じ人間に共存していて脳内会議を常に続ける。そこで下される判断は、様々な想いを感じながらされていて。責任を感じる瞬間でもある。 H鋼のサビ止め塗る前の佇まいってなんでこんなに魅力的なんだろう・・・鉄フェチ?…

M2配筋検査

構造家と一緒に基礎の配筋検査です。今回はフーチング配筋ですが、さして問題もなく。ただ建物の荷重は全てこのフーチングの皆さんが受け止めるので、決して疎かには出来ないのでございます。今回は優秀な現場監督のお陰で順調に工事が進んでおります。ちなみにフーチングというのは和製英語だそうで、英語のfootingは足の裏という意味があります。建築の足ですね。最近の住宅はベタ基礎が多いですが、ベタ基礎にはフーチングは基本的にないので、ここでは独立基礎という形式になります。基礎形式で耐震性の優劣がないのは言うまでもないですが、ベタ基礎だから地震に強いとか布基礎や独立基礎はダメとか言う人が、ネットの世界ではいるようです。設計というのは、そんなに単純ではなくて耐震性で言うならば、設計基準というものがあってそれに対して工学的な判断をしているのであって、この手法が○か×かみたいなことでは決してない。何よりコストや性能さらには地域の環境等、決定を左右するパラメーターが沢山ある中での判断をしなければならない。そのような設計者がいない現場は知らないけれど。お向かいの土地にも某ハウスメーカーの住宅の工事が始まっております。工期の速さでは、多分あっという間に抜かれてしまうことが予想されます。なんか、ウサギと亀みたいな様…

showroom

M2-houseはタイル空間という事もあって、素材選びを慎重にしないとクライアントと認識を共有できないので、設備機器の選定の確認を含めて、東京の青山周辺へクライアントと出向きました。偶然、使ったことのないメーカーのカタログが直前に届いてショールームが近い場所だったので、予備で予定を組みましたが、これがなかなかのヒット。私もクライアントも納得のいく素材を見つけることができました。事前に準備したモノよりも、スッとスキマに入り込むようにやってきた素材がしっくりしてしまうというのは、モノ作りのなかにいるとよくあるのですが、恐らくそれは常にデザインが現在進行形で動いているという意識の表れだと感じます。どんなプロジェクトも機を熟していくタイミングがあり、それは世の中の動きと密接です。例えば、あったらいいなと思っていた新しい商品が出るタイミングに出会えたとか。あとはこのプロジェクトをきっかけに商品を開発するとか、無くなることもある。そんなモノは予定調和では絶対に生まれないわけで、いろいろモガイタ結果の偶然。偶然を必然に引寄せることが出来れば、きっとそれが巨匠・・・。少しでも建築としての価値を上げる努力は、これからもしていきたい。…

甲府竜王駅

甲府に行ったので、安藤さんの竜王駅に寄ってみた。丹下さんの山梨文化会館も行きたかったけど、気付いた時には日が暮れていた。安藤さんと言えば、中之島に図書館を作るらしいのだが、その設計費と工事費を事務所が負担するらしい。運営費は個人や企業からの寄付が基本のようです。そのニュースを聞いて、その偉大さに感動したのはもちろんのこと、何か壮大なドラマを見たような気持ちになりました。中之島と言えば、有名なタマゴ案を思い出しますが、もともと依頼がある仕事ではなく、他にも大阪駅の屋上緑化とか、若い頃の安藤さんは色々提案しては無視されます。その後10メートル模型や巻物状の図面など、何十年にも渡ってひたすら中之島へのANDO計画をつくり続けています。そして、遂に自身の寄付で図書館を創り上げようとするこの凄さは、並大抵の精神力ではない。最近では大病もされたようだし、国立競技場コンペの件で批判を浴びたり、とても順風満帆には(僕個人の主観です)見えない中で、これほどの想いを持ち続けることの凄さを知っておくべきだと僕は思う。一方で、こんなハコモノはいらないという意見も少なからずあるようで。あるブログでこのことを批判している記事を見ました。その主旨は、昨今の活字離れを憂いて図書館をつくるなんて飛躍しすぎで、建築的な…

M2現場

現在施行中のM2現場。地盤改良が終って、基礎の配筋と型枠を施行中。ほぼ敷地いっぱいに建つ予定の計画なので、あらためて見ると大きい住宅。現場を片付けながら談笑している職人さんの傍で、ふと過去の思考のプロセスを逆再生しながら、自分の構想と現実の建築を調整してみる。この敷地で何案考えただろう。たくさん考えて、図面も書いたのだけれど、実現できるのは一案です。一案だけ考えて良いもの作れるほど、僕は天才ではないので、凡人なりに案を作りまくりなのが日常です。最終案は以外にも簡単そうなプランに見えてしまうのは不思議。あるプロカメラマンが、プロは目指したレベルに一瞬でたどり着く。素人はたくさんの中からチョイスする。と語っていました。その意味では、僕の思考は素人っぽいかもしれません。今どきのスマートさもないかも。でも、時々これが極端に少ない思考で、たどり着く時もあります。俗に言う、降りてきたとか降ってきたとかいうヤツです。ほとんどの場合は次の日に勘違いに気付くので、振り出しに戻りますが。建築が実現しないと建築家としては、なかなか評価をしてもらえません。でも、アンビルドな建築をどれだけ真剣に考えられるかということも、重要なんじゃないかなとも思います。その思考の厚みによって、最終的に判断されたものに奥行きと…

design A

週末のとっても暑い日に行ってきました。「デザインあ展」デザインといっても多岐にわたるのですが、どんなデザインでもわかりやすさというのは、一つの指標でもあると思います。ただ、一方で分かりやすいだけのデザインが優れているかというと、それはちょっと違うかなと思います。分かりやすいというのは、とても大事な要素ではあるのだけれども、その奥にある「これだよね」感が無いことには、なんとなく薄っぺらく感じます。このデザイン展のデザインは、それぞれ著名なデザイナーの作品でもあるのですが、子供にも分かるようなデザインでありながら、それを読解していくと実は広大な奥行きをもって成立しているということに気付かされるという究極のデザインでもあったりするのです。デザインは誰でもできるけれど、誰にもできないのが、いいデザインなのかなと思ったりもします。娘もデザインの楽しさに触れているようで嬉しい。いい作品がつくれるといいね。…

ゲンチョウ

ゲンチョウとは現場調査のことであります。現場に行くことが増えると、BLOGの更新頻度が途端に増えるという、分かりやすい人間です。設計というと机にしがみついて、マウスをカチカチしながら画面を見つめるという光景を想像しがちですが現場をウロウロ歩き回ることで得られる情報と思考は重要で、なにより楽しい。外に出て土ほって走り回るのが楽しいのは、大人も子供も変わらないということか・・・。敷地を見て、未来の建築を妄想する。妄想するだけで終わってしまうと悲しいが、実現したらそれは妄想ではなくなる。実現できそうなことや逆に突拍子もない極端な妄想は結構簡単だけどできるかできないかわからないけど、ここだったらこれがベストって思えるものを妄想するのは、あんまり簡単じゃない。夢を語れば大きくなりすぎて、リアリティなくなるけど、こんなモノなら以外にいけるんじゃない・・・くらいの。届きそうで届かない。でも、少しジャンプすれば届く・・・かもしれないという感じ。常にちょっとだけジャンプ・・・したい。…

じちんさい

M2-houseの地鎮祭を行ないました。約2年半、ついにここまでたどり着いたという感じです。 時間がかかることは決していいことでは無いけれど、ただ無駄に過ごしてきた訳でもない。なやんで、もがいて、知恵をしぼって、今の自分にできる最善のモノを。泥臭くても最高のものができるならば、それが何より大事。でも、どんなに僕が価値を信じてつくった建築であっても、理解されなければそれは虚しいただの建設。設計を依頼されるということは、その人を思いながら建築を考えるということ。建築家としてどう振る舞うかも重要だけど、やっぱり、その人が何を望み、どうなりたいのか。そして、そのクライアントの期待をわずかでもいいから、超えていきたいと常に思う。そうやって一つ一つ丁寧に作ることが、僕の人生そのものだ。できた建築に、またクライントご家族の人生が絡み合って・・・そしていい思い出を残していけたら、それは素敵なこと。そうなれるように、もうひとがんばり。思考との格闘から物質との格闘へ・・・。…