Photo:hiroshimaps03.jpg by scarletgreen
先日、原爆に関する特番を何本か見た。
それは、戦後60年という節目もあり各局様々な側面から、「あの日」の出来事を克明に伝えようと工夫を凝らしている。
ある番組で、実際に開発に携わったというアメリカの科学者が初めて広島を訪れ、そこで被爆した2名の男女と対談をするという画期的な企画を見た。
有名な原爆のキノコ雲を上空で撮影した映像は、その科学者のものだったらしい。
実際に、投下した輸送機にその科学者も乗っていたという事だ。
そして、対談でアメリカ人の認識と被爆した人々の認識に決定的な違いが浮き彫りになっていた。
それは、科学者曰く「あの日」の出来事は間違っていないという事だ。
原爆投下を引き起こしたのは、日本軍の真珠湾攻撃であり、そこで多くのアメリカ人が亡くなった。それは、その科学者の友人達も含まれていた。
被爆者である日本人は、謝罪を求めたが「謝罪をするのはむしろあなたの方だ」と突き放されてしまった。
これには、少し驚きと納得があった。
こういう考え方をしている限り、戦争はなくならないし、核の廃絶は難しいだろう。
科学者は、「爆撃で死ぬのも原爆で死ぬのも、死ぬ事に変わらない。」と語っていた。
しかし、それは街ごと吹き飛ばす事と軍人同士が戦う事は同じだという事なのか。
グローバルスタンダードといっておきながら、所詮自国民のことしか考えていないとしか思えない。
その被爆者の日本人は、戦争の責任に対する謝罪を求めた訳ではないと思う。
それは、中国に対する日本の立場のように個人で負えるものではない。
そこで、求めた謝罪とは恐らく「街を一瞬にして壊滅させた」事に対する謝罪ではないのか。その必要もないのに・・・。
原爆を使わずに日本を降伏させる方法もあったらしい。
そこでは、天皇制の存続をすれば可能だったと報じていた。
原爆投下は、消極的な選択ではなく積極的な選択に思える。
その後の調査で、アメリカ軍は被爆した人々のデータを集めていたが、治療は一切しなかったそうだ。
最後にピースセンターに灯されている核廃絶を求める火について、その科学者が「核がなくなる前にガス欠になるだろう」と皮肉たっぷりだった。