デザイン住宅設計事務所

建築家という商売

Photo:Architecture by Moyan_Brenn

タイトルからして書くのに抵抗のある「商売」という言葉。
商品を売るのが商売であれば建築家は何を売っているのか。
医者や弁護士は商売と言えるのか。
医者も弁護士もある意味商売であると考えられている部分もあるかもしれない。
しかし、医者にしろ弁護士にしろ根底にある使命感や正義感がなければその仕事に意味があるのか。
意味など必要なくて、ただ金を得る為だったら他の仕事の方がきっと楽に得る事ができるだろう。
金を得る為に仕事をするのだったら、最も効率の良い仕事を探すべきで、それは時代によって変化していく筈だ。
だから同じ業界にしがみつくのは最も効率が悪い(かもしれない)。

最近、女子プロレスラーが議員に繰り上げ当選したが、ああいう生き方を見ていると本当にそう思える。
あの議員は(私には)政治家には見えない。
政治のプロとは思えない人が国会に勉強しにいっているようにしか見えない。

職業として「~になる」というのと「~として認められる」ということは全く別の事なのだ。
この議員を見ていて心の底からそう感じた。

だから、自らの肩書きを声高に叫ぶ事は簡単だが周囲を納得させるのは、実力しか無いのだろう。

さて、商売の話。
設計事務所は誰でも開設できる。
なので、大抵は事務所の所長が開設者の場合が多い。
開設者は一般的な会社で言う社長と同じ立場であるから、経営者と言えるかもしれない。
経営するという事は少なからず利益が出ないと運営できないわけで。
そこには手法と言うか経営能力が問われるのだろう。
デザイナーと経営者が同一なのはおかしいという意見があるが、それは恐らく経営とデザインは思考が正反対だという意味なのだろう(と私は思っている)。

事務所によっては経営が上手で、仕事が潤沢にあって・・・。
というところもあるかもしれない。
それはそれで、すごい事なんだと思います。とっても。あーがんばってますねみたいな。

昔、雇われていた頃の社長に
「俺は、今回のプロジェクトで300億の金を集めた。お前にそれができるか?」
『それが人間の実力だ!』
と言われた事があります。

でもね、建築家として生きたいと思ったときからそんなこと望んでないんですよ(負け惜しみかもしれないが)。
最終的には創ったものだけが、その建築家の生きた証だと思うわけよ。
いずれ壊される運命だったとしても、その地にとどまってオーラを発し続けることだけが。
建築家も人間だから、言葉も話すよ。
でも、言葉で表現出来たら建築なんて必要ないじゃんって思うのよ。
それは全ての芸術作品に言える事だけど。
表現出来ないから、「俺はこうだぜ!」ってモノを創るわけよ。
だから、つくられたモノが納得いかなければ「俺ってなんなの」ってなると思う。
要は最終的にその300億の金を使って何が出来たのかっていうのが問題なのよ。
”建築家集団”なんていうキャッチコピーを会社案内に載せるんだったらね。

結局私には経営なんてどうでもいいかもしれない。というか儲けようと思ってこんな仕事はやってられない。
建築家なんて売れなければ、生活するのだってままならない。
なんか売れない芸人みたいだけど。
経営手腕をふるって仕事取りまくって、あるいは役所の談合につきあってみたり、それでスタッフに仕事全部まかせちゃって・・・くらいしないと余裕のある生活なんて望めない(それは極端ですが)。
地方にいると、やたらと儲かってるでしょ!みたいに言われます。
まぁ田舎だからしょうがないのかもしれないが。
儲かってたらここにいません!とも思うのですが、”建築”ってそんなイメージみたいです。

なんかデザインと関係ない話ですが。