TNデザイン一級建築設計事務所

建築の存在

建築が他のデザインされたものと異なる事。
それは、人間よりも巨大であるということ。
さらに、人間が中に入って活動するということ。
F・O・ゲーリーは現代美術の人でしたが、いまや建築界の巨匠です。
そのゲーリーによれば、建築と彫刻の違いは「窓があること」。
つまり中に人が入るということである。
東京はとてつもない量の人工物で覆われているために外部でさえも内部のように見えてくる。
つまり、全てインテリアの世界。
インテリアだから、模様替えもしたくなるので、建て替えしたくなる。
それが、カオスと呼ばれる東京たる所以だと思う。
東京にいた方が多分仕事はたくさん有るだろう。そういう模様替えが頻発するから。
でも、建築はインテリアとは違う役割を持っていると私は思う。
建築には外観(ここでいう外観はインテリアの反対語としてというよりも外部の佇まいという意味)があって、街並みがあって環境になる。
そして、壊されないで残っていく事が重要だと思う。
現代は建築デザインでさえも消費してしまうほど、情報が溢れている。
しかし、人間が中に入るという性質上、建築は物質からは逃れられない。
その物質性が建築の唯一の武器でもあり、弱点でもある。
CGが真新しかったころ、この物質性が建築をスポイルしているという議論があった。
しかし、実体があるからこそ建築は存在を確実なものとするとも言える。
たとえそれが、小さな住宅であったとしても、ある環境に建造されれば必ずその力が波及する。
それは、その建て主よりも周囲の人達の方が強烈かもしれない。
多くの人が関わり協力してモノを作り上げるエネルギーは、「お祭り」同様に活気を生み出すことでもある。
竣工後に写真を撮っていたりすると、非常に多くの人に声をかけれられる。
それが、苦言であるか賞賛であるかにかかわらず。
それが建築の求心力であり、そういう建築があることで街が活気づいたり、新たなランドマークになったりするかもしれない。
でも、多くの住宅は内部の機能デザインが優先され、家電の延長のように感じる。
出来るだけ工期も短く、”買ったらすぐに使えます!”みたいな・・・。