TNデザイン一級建築設計事務所

material!

 

Photo:Caught in the Vortex By Steve Corey, O.O.T.

建築にとっての素材は、ひとつの大きなテーマに成り得るほどの特徴だと言えると思います。
グラフィカルな意味でのデザイン、例えばCGの世界でも素材感というのは重要なテーマかもしれません。
しかし、建築にとってはこの世に生まれるための構成要素として欠かせないものなのです。
つまり、素材なくして建築なし。
さて、建築を抽象化することは近代建築のある方向性として今も重要なテーマとしてあると思います。伊東豊雄さんは既にその路線からは離脱したと語っていますが。
モダニズム(古典的?)としても抽象化はベースになる思考だと思いますが
そこで問題になるのは人間の為に構築された建築があまりに抽象的であるが故に、人間さえも不純物として認識されてしまうことがあるということです。
人間自身を漂白することは、とても難しいことです。
人間は本来自然の一部として存在するのですから。
人間は他の自然と違うのは、脳を持っているということです。
人間の脳は、とても抽象的な存在だと言えます。
そして、その脳の世界を現実化しようとする行為は、人間にとっては必然のような気もします。
でも脳の世界が抽象的だとしても、それは人間の体の一部として抽象的であり、あくまでも体という実体がなければ機能できないのも事実です。
だから、その具象と抽象のあいだで微妙なバランスをとりながらデザインするということは人間の体や脳の関係を考える事でもあるのかもしれません。
映画「マトリックス」のワンシーンで真っ白なバーチャル空間の中に二人の男性が立っているシーンがあります。
それは脳とコンピュータがつながれた、バーチャルな空間の中での出来事ですが、それは究極の抽象とも言えます。
そこには、具象とのバランスは存在しません。どこまで行っても、どんなに時間が経っても真っ白な素材感のない空間が続くだけです。
あのワンシーンによって、ある意味(建築における)抽象の最終地点が表現されてしまったような気がしました。
でも、建築の抽象はもっと違う形で存在するかもしれないと思ったのも事実です。
そこで注目されるのが素材感なのだと思います。
家を建てようと思っている人に”自然素材”という言葉を投げかけると99%喜ばれます。
しかし、自然素材の定義はなんだろうと考えるととても曖昧です。
多くの人は無垢の「木材」をイメージすると思います。
では、「木」が自然なのでしょうか。
僕は無垢材を使うことにこだわりがありますが、それは「木」だからではなく
無垢であることの素材感が重要だからです。
コンクリートの打ち放し仕上げというのを良く目にすると思いますが
なぜそれが、表現の地位を確立するまでに建築家に好まれるかと言うと
それは、無垢であることの素材感です。
建築家の塚本由晴さんの言葉を借りれば、「コンクリート100%」
つまり、果汁100%ならぬコンクリート100%の純粋さが無垢であることの価値です。
無垢材だから自然などという安直さは、材料を売りたいがためのレトリック。
僕はひたすら素材感を追求します。