いい建築とは

いい建築とは、何だろう。
そう問われるたび、いつも言葉に詰まる。答えがないからではない。答えが、あまりに多すぎるからだ。
とても素敵なパースができた。けれど、それが陽の目を見ることはなさそうだから、ひっそりとここに置いておこうと思う。
詳しいことは書かないけれど、いろいろな道のりを経て、その方は私のもとへ相談に来られた。話を伺いながら、心のどこかで「これは難しいかもしれない」と思っていた。そういう予感は、たいてい外れない。悲しいことに。
このごろの建設業界は、行く先がまるで見えない。それでも、建築をつくりたいという気持ちが、消えてしまうことはないのだと思う。夢と現実の間には、いつまでも埋まらない溝がある。その溝にどう向き合っていくか——この永遠の問いに答えを出すことが、年々、途方もなく難しくなっている。
住宅であっても、店舗であっても、良い建築にしたいと願う——それは、当たり前のことのはずだった。それなのに、話がまるで噛み合わないことがある。誰にとっての「いい」なのか、という一点で。住宅であれば、大半は住む人のためかもしれない。けれど、そこには常に、住む人だけでは測れない何かが求められる。社会との接点、あるいは公共性と呼ぶべきもの。だからこそ、私たちのような専門家が、その間に立つ意味があるのだと思う。それでも、資金という絶対的な力の前では、なす術もないことがある。個人の願いと、社会の求めと、資金の論理——その三つを結ぶ糸を探すことが、近年ますます難しくなっている。答えは、まだ見つからない。
それでも、建築を考える時間は、やっぱり楽しい。かたちにならなくても、アンビルドであっても、私の中では、また一つ、かけがえのない作品が創れたのだと思っている。
いい建築とは、何だろう。
結局、今回もまた答えは出せなかった。けれど、その答えの出なさこそが、この仕事を続けさせているのかもしれない。