質_その1

日本には建築士と呼ばれる有資格者が、一級でも35万人くらいいるらしいのですが
その中で美術館の設計を一生の中で、経験できる人は何人いるのでしょう。
恐らくほんの一握りの人であろうと思います。
もちろん僕のキャリアにも存在しません。
しかし、どんな建築、例えば、小さな住宅であったとしても、その空間の質を美術館やそれに匹敵するレベルに、常に
近づけたいと思いながら設計をしています。最近完成した『軽井沢千住博美術館』は、僕にとって、とてもインパクト
のある建築です。そして、空間の質として、一つの到達点を見せてくれました。同時に、それに対する批判の意見を耳にしました。
それは、「絵に対する紫外線の劣化に対しての設計的な配慮がない」というもの。
美術館は絵を収蔵、展示する場所なのだから、そこに直射日光を入れる設計は言語道断であると。
その批判は最もらしいものですが、僕にはとても違和感がありました。
そして、その批判を裏付けるように、最近になって絵の周辺に遮光用のカーテンが設置されたようです。
(ただし、聞いた話ですので、僕が確認したことではありません。)
この意見を述べた人は、恐らく「自分が言った通りのことが起こっている。だから自分の意見は正しい。」
と思っているかもしれません。
しかし、それでも尚、僕はあの美術館は展示スペースとしても建築としても、最高の質を持っていると確信しています。

それは、なぜなのか。根本的に設計者である西沢さんとクライアントの一人である千住さんが建築のコンセプトにおいて
全くコンセンサスがとれていなかった、などということはあり得ないと思いますので、この状況自体が、ある程度は想定の範囲内だったと考えられます。
そして、この空間の価値がそのデメリットを凌駕するとお互いに感じたからこそあの空間が実現していると僕は思っています。
もう一つの理由は、その作品の物理的な存在価値です。

最近、Googleが始めたアートプロジェクトで美術作品を超高解像度で撮影してWeb上にそれをアップロードすることで
美術作品がネット上で体感しようというのがあります。実際にどの程度の解像度だとか詳しい情報はわかりません。
しかし、今後それがどんどん技術革新されて、人間の目には理解できないほどの精巧な複製が技術として可能な時代が
そうなった時に、美術館の機能の一つである「保管」という機能は展示するスペースと必ずしも一体化する必要はない、ということが考えられます。
つまり、美術館は展示に徹することも可能になり、保管機能は別な高度に管理された施設で行うということも可能になります。
そうなると、美術館に必要なのは、その展示スペースが魅力的な場であることがさらに重要視されることになります。
今までの古い日本画は、保存するという目的もありますから劣化しないように、とても薄暗い展示室で展示されます。
美術館というビルディングタイプは総じて、閉鎖的で排他的な建築がほとんどなのは、そういう機能面を重視されてきたからだと思われます。

しかし、画像技術によって完璧な複製が原版を汚すこと無く実現できることになれば、
なにも原版を直接劣化の危険に晒してまで、展示スペースに運ぶ必要がなくなります。
そして、美術を鑑賞する空間として、西沢さんの言葉によれば「庭にいるような場所」で日本画を見れたら、それはとても価値のあることだと思います。
そんな制限から解放された時、空間の質そのものが問われることになります。
それは、建築空間のイノベーションと呼べるのかもしれません。
そして、それがこの建築の価値なのです。
建築はとても長いスパンで価値が持続することが必要です。
庭のような展示室は、アイディアとして今まではどこかの設計者が提案したとしても
上記の理由で簡単に却下になったと思われます。
でも、それを実現してしまうのが価値であり、思いつきだけで建築は創れません。
そして、あの空間に千住さんの絵があることが、意味のあることだと思います。
もしかしたら、すでに絵の複製は保存してあるのかもしれない
というのは、容易に想像できます。「ビルバオ・グッケンハイム美術館」は街の活性化を引き起こし、
さほど大きな街ではないところに世界中から人が集まるようになったのは、ゲーリーの建築の魅力だからこそだと思います。
それくらい、建築の力はあると思います。
単に今までどおり薄暗い展示室に掛けられることを、千住さんが望んでいたのなら、そもそも西沢さんを設計者に指名するとは思えません。

SANAAの美術館は、金沢でも大成功していますが「軽井沢」も長野の代表的な美術館として、地元の人達にもその価値に気づいてもらいたいし愛してもらいたいなと願います。