けんちくのはじまり

気がつくと冬の気配が遠ざかり、春の足音が聞こえる今日このごろ。
少しだけ、けんちくのはじまりが見えてきました。
まだまだ予断は許せないけれど、どうにかなりそうなところまではたどり着いた感じ。
もしかしたら、当事者(クライアントを含め)以外にはこの「悶々」とした日々を過ごした気持ちは理解されないかもしれないし、そんな当たり前のことを自慢げに語られても・・・と思うかもしれない。
でも、限られた予算のなかで最大限の価値をという永遠の課題は、突き詰めればブラック企業のような過酷な労働だったり、不当な待遇を強いることにつながるわけで、そんな状況を変えるためには、少しでも新しい提案を受け入れる柔軟性を持っている人たちと仕事をしていかなければ、先はない。
少なくとも僕の立場はクライアントの利益を高めるために存在はしているが、それが全てではない。
社会的に意味のある活動をしたり、僕自身の作家としての仕事を全うすることが大前提だと思っている。
そういう思いが理解できる人たちとモノを作っていけるといいが、そんな人に出会える確率はあまり高くはない。
ただ、悲観もそんなにはしていない。
それは今までの僕の活動を応援してくれる人たちもいるからだ。
「あきらめない」ことを実行することは、口で言うほど簡単なことではない。
結果が見えているならば、誰でも頑張ることは出来るけれど、先の見えない状態で「悶々」と数ヶ月間、批判にさらされながら意思を全うするということは、なかなかに難しいものだ。
20世紀は「答え」を問う時代、21世紀は「問い」を問う時代、というネットの記事を見かけた。
僕の「問い」は未来につながる「問い」になるのだろうか。