キースヘリング美術館 以前に行ったキースヘリング美術館のエントリーから早4年近くになります。 増築工事や付帯設備が完成したようで、再び訪問しました。 今回は、仕事も絡みつつの訪問です。 平日に行ったので、入館者は他に誰もいなく貸切状態。 増築もしてるし、隣にホテルも建って、北川原ワールド全開ですが、レストランが併設されていないのはどうなんでしょうか。 ホテルの宿泊客は、外を歩いてレストランに行くらしい。 寒い時期はオフシーズンだからということか・・・。 思いっきり雪降ってるし。 外部の塗装も、構成が変わっていて以前のエントリー時の悪かったところも、かなり修復した感じです。 ここに来ると思うのは、ポップアートが美術品になってしまうと、やっぱり良さがなくなるというか、気軽さが売りなのに矛盾してるというか。 作品に触るなとか書かれても、それはキースの本意なの?って思ってしまう。 もちろん警告を無視して、軽々しく肩組みながら作品と一緒に写真に収まる神経も理解できないが。 キースのデザインは、みんなに揉みくちゃにされながら、愛されるアートだと思うのは僕だけでしょうか。 それならば、別にレプリカでも問題ないわけで、偉そうに鎮座するだけが美術品じゃないと思います。 大人の事情でもあるのでしょうか、見る側はよくわかりませ…
江戸東京博物館 両国の駅からの視線を十分に意識したであろうその形態はわかりやすさと複雑さを同時に表現しているようにも見える。 レム・コールハースの「ビッグネス」を建築家によって具現化したような佇まいは、異様なものだがここまで堂々とされると、やはり説得力を帯びてくる。 強いものが勝者であるのではなく、勝ったものが強いということか。 「バカの壁」を何気なく開く。 それは、15年ほど前の養老孟司著の対談をまとめた本で、とても読みやすいもの。 そこで語られる論旨は、現代人がいかに偏った思考方法かということが書いてある。 話せばわかるというのは大嘘で、話してもわからないことはこの世に無数に存在する。 説明してわかることは、ほんの少ししかない。 それがバカの壁であり、その壁に隔たれたもの同士がいくら会話を試みても、互いを理解することができない。 物を知るということは、このビッグネスな建築を前にした感情が、もっと近くに寄ってみたら、どうなのだろう 反対側から見たらどうなってる?あのピロティでコーヒー飲んだらどんな気分・・・。 というように無数の情報がそこに転がっている状態を、一つ一つ観察し体感して 再び同じ建築を見たときに、ガラッと見え方や感じ方が変わること。 それが、知るということ。 僕はこのショットをスマホに…
すみだ北斎美術館 総武線に乗っている時に、もう既に日も暮れて真っ暗なはずなのに異様なオーラを放つ建築物があった。 わずかに照明の光が漏れていて、独特の形態を映し出す。 そのうちに電車が動き出し、すぐに頭の建築インデックスが作動するのに気がつく。 『すみだ』ってこんな所にあるのか・・・・。 自分の建築センサーもなかなかやるなと自画自賛して、読みかけの「首折り男のための協奏曲」を再び読み始めた。 こんなに近くなら、すぐに行けると思い直して、明日の予定に無理やり組み込む。 次の日の天気は、予想以上に晴れていた。 建築を見る上で天気の影響は多大だ。良くも悪くも印象が変わってしまう。 でも『すみだ』はきっと雨だとしてもその佇まいは美しいものになることは容易に想像できる。 妹島事務所や西沢事務所は膨大なスタディを重ねることは建築界では有名な話だが、どんなにスタディを重ねていても、そこから選び出される案はたった一つで、それが妹島作品であり西沢作品になる。 西沢さんはもう10年以上自分で案を出さないらしい。 それが何を意味するかは、ここでは書かないが、妹島さんはもっと前からそうだろう。 ちなみにジャン・ヌーヴェルはスケッチすら書かないらしい。 スタッフへの指示は全て言葉でするそうだ。 建築家の仕事とはそういうものだ。…
鉄骨検査 T-houseの鉄骨検査に安曇野へ。 もう何度も鉄骨検査をしているけれど、未だに建築パーツを事前に確認するワクワク感は変わらない。 もちろん、事前に製作図を確認して、その通りの実物が目の前にあるだけの話なのですが。 でも、これが自分のイメージする空間を支える構造体なのだと考えると、楽しくなるのです。 鉄骨部材は規格品であり、ある程度決まった形です。 それを、適材適所で設計をして部材を使い分け、時にはカットして形を変えて骨組みを作る。 部材同士は溶接で接合されているので、それが規定の強度を持っているか、変形はないか パーツとしての形状がきちんとできているか、など様々な項目をチェックします。 それでも、建築現場に完璧はありません。 致命的なトラブルが発生する可能性はゼロではありません。 構造躯体の強度が低下するようなミスは、あまり起こりませんが意匠上のトラブルはよく起こります。 それは、デザインの意図というのを施工者(特に職人レベル)で理解することは非常に難しいということです。 だからこそ、建築家は現場を見て、細かい指示をしながらそれを作品として昇華させるべく腐心するのです。 現場監督はスムーズに進めるために、現場を管理し、我々もそれに協力をします。 ただ、僕が現場を見て考えているのは、…
初詣-2017 明けましておめでとうございます。 今年も宜しくお願い申し上げます。 今年の初詣は、吉方位を確認して「穂高神社」に行きました。 今年は、久しぶりの作品が竣工する年になります。 建築家にとっては、建築を作ることが何よりの幸せだとかみしめておりますが 夢をあきらめず、今年も頑張ります!…
飯山市文化交流館なちゅら 近場なので、行ってきました「なちゅら」。 設計は隈研吾さんです。 建築を評価するときに、ビルディングタイプの違いとか、予算の違いを理由にする人がいます。 例えば、お金があるからこんなことができるんだとか・・・。 本来そんなものは関係なくて、限られた予算の中でどんな解答がベストなのか、どうマネジメントされているのかを考えるべきです。 そして、この建築はここで何を作るべきか、周囲の環境をどう解釈するのか、どこにお金をかけるべきなのか 様々な要件に対する建築家の解答の一つ一つが、「そうだよね」と納得できるものでした。 施工費は約30億。 ホールを持つ文化施設として、余裕のある予算ではないと思うけれど、飯山市の財政を考えれば立派だと思います。 それに対して、きちんと建築家の『思い』が伝わる建築だと感じます。 長野市の市庁舎・市芸術館の施工費は約160億。 市庁舎の費用があるので、一概に比較はできませんが明らかに異なるデザイン密度。 大御所が設計したとしても「思い」がなければそれは建築ではなく建設に堕落する。 長野市民は見ておいた方がいいと思います。 ただ隈さんのポリゴン系の建築は、実は私は嫌いです。 ここでの、デザインテーマが何なのかは理解できますが。 結論としては、いい建築なんですけど・・…
世界遺産 久々のブログ更新。 Facebookで近況報告をするようになってから、ブログを書く機会が減ってしまいましたが、これはきちんと記録したいと思いました。 まず、日本で唯一のコルビュジェ作品である上野の『西洋美術館』が世界遺産になりました! このニュースは本当に嬉しいことです。 コルビュジェ財団が世界的に作品全てを世界遺産に認定しようという動きをしているようで、日本でも数年前から検討されていたようです。 関係各所の皆様にとっても、僕のような建築に関わる全ての人にとって、歴史が動いた記念すべき瞬間であると感じます。 ル・コルビュジェという建築家については、様々な研究がなされているのでそちらに論を譲るとして、作品についての解釈について僕の思うところを・・・。 SNSでもいろいろな意見がありますが、「西洋美術館」についての僕の評価は、実はあまり高くありません。 そう思う理由の一つに、コルビュジェの作品はどれも世界遺産として残すべきものですが、唯一日本の「西洋美術館」はそもそもコルビュジェ作品と言えるのか怪しいというものです。 これは主には磯崎さんが語っている説の受け売りなので、詳しくはそちらを見ていただきたいのですが、概略はコルビュジェの基本設計図には寸法が書かれていないこと。 実施設計を日本の…
日本建築思想史 久々に本が読みたくなって手にしたのが「日本建築思想史」磯崎新著。 磯崎さんの文章は難解ですが何故か読みたくなります。 そこに山があるから登るのが登山家であるなら、建築家として磯崎新の言説はエベレスト級の山に見えますが、どうしようもなく惹かれます。 本書は、難解なのは序章までで、あとは対談形式なのでとても楽に読めました。 内藤廣曰く「建築家の言説が難解なのは、出来なかったことを説明しようとしているから」と言っておりますが 磯崎さんに限っては、明らかに意図的に難解にしている。 分かるもんなら分かってみやがれ的な・・・。 現代において「わかりやすさ」は正義でもあり、なんでも簡略化や省略をして「わかりやすく」することで消費されます。 消費されないモノを構築するには、やはり消費されない思考ももちろんだが、社会背景も重要。 そういう意味では時代を読み解き、そこでどう振る舞うかにかかっている。 それは私のような末端の建築家であっても、同じだと思う。 磯崎新はこう読んでこう振る舞った。 僕はどう読み、どう振る舞う?…
ウツクシサ 美について 「SI-house」は竣工して3年が経ち4年目になります。 竣工してからすぐに壊れてしまったところや修理したところが当然あります。 工業製品と違って、一品生産である建築は、具現化する前にテストをする余裕がありません。 ましてや挑戦的な建築は、それだけでリスクを内包しています。 同じモノを大量生産するならば、多くのバグを事前に取り去る必要もありますが それを完璧にできる建築は、余程の予算と工期が必要になります。 無名のアトリエ事務所が作る建築に、そんな余裕はあるはずもなく。 リスクを根性で振り払い、立ち向かいます。 どんなモノでも生まれたてはキレイに見えます。 どんなバックボーンを持っていても。 若者も輝いて見えますよね・・・。 しかし、年を重ねて劣化するのか、維持するのか、さらに輝くのか。 その後の環境に左右されるのは、人生に似ている気がします。 丁寧に使われた職人の道具が、美しい光を放つのと同じように 崇高な理論の元に愛された建築は、美しいオーラを放ちます。 ウツクシイとキレイの違いってわかりますか? 僕も全て言語化できるわけではないですが、建築のウツクシさとキレイさの違いはわかります。 新築のハウスメーカーの家はどれもキレイ。 60年前に建てられた、コルビュジェの「ラ…
その後・・・ 「SI-house」に久しぶりの訪問。写真は懐かしの施工風景。 この建築とほぼ同時に生まれたお子さんが、大きくなって言葉もどんどん話せるようになり時の流れに気付かされる。 僕はこの家が好きだ。 多分、好きという感情を超えている気がする。 この建築の置かれている環境・・・愛されるべきクライアントご夫婦とお子さんに囲まれている・・・状態そのものが好きだ。 建築家は建築を作ることができるが、建築の置かれる環境までは、想定はしていても作ることはできない。 もちろん、愛されないようにモノを作ろうなんて思う人はいないから、少なくとも愛されてほしいと思いながらモノを作るだろう。 だからといって本当の意味で愛されるモノができるとは限らない。 僕は正直言って、この建築がこんなにもうまくできていることに自分自身驚いている。 本当に自分が設計したとは思えないほどに。 多分それは、僕の力だけでこんな幸せな状況になったわけではないからだろう。 それは、クライアントの人間力がそうさせているのだ。 建築は、他の殆どのモノたちよりも格別に寿命が長い。 だから、いろいろな批評の的にさらされてしまう。 「新国立」は生まれる前に消し去られてしまったが、生まれればそれなりの建築に育っただろうに・・・。 瞬間を切り取る写真と…
PAULO MENDES DA ROCHA 久しぶりの更新です。 見ている人は、あまりいないかもしれませんがひっそりやっていきます。 この歳になると、だんだん建築雑誌を細かく見ることもしなくなってきました。 それは、見方が変わるというか感受性が変化するというか、情熱がなくなったわけでは無いのですが 建築を創る上での経験からの既視感と言いますか・・・。ほとんどの建築はそれがよっぽどの作品で無い限り ワクワク感とか得体の知れない高揚感は、やはり少なくなっていきます。 一般的には感受性が鈍ったとか、飽きたとかいう表現になるのかもしれません。 しかし、知れば知るほど深みにハマって、わけがわからなくなった時 突然、鮮烈な光がさし込むような建築に、心揺さぶられる事もあります。 そして、それは、何の事はない入口付近で知識を貪欲に欲していた時に通りすぎてしまったものだったりします。 そんな建築に出会ってしまいました。 見ればそれは、プリツカー賞受賞者のパウロ・メンデス・ダ・ローシャの作品でした。 勉強不足を恥じましたが、この住宅作品自体は、建築界でもそんなに知られていなかったようです。 70年に設計されて、74年に竣工していますが、トンデモなく魅力的です。 74年というと安藤さんの「住吉の長屋」と同じ頃です。 これが実現した唯一の住宅だそうで…
WEB 建築紹介のwebサイトに『SI-house』がエントリーされましたのでお知らせします。 一般的なサイトでは、写真を勝手に使っていたり、適当な記事で情報元もよく分からないものだったりしますが このサイトは事前にメールで問い合わせがあり、きちんと趣旨の説明とその後の報告もあり、丁寧な対応でした。 記事は専属のエディターが編集しているようで、様々な言語で翻訳しているそうです。サイトのサービスは他とあまり違いは見られないかもしれませんが、中身はかなり違います。 そういった違いはわずかであるように見えて、大きな違いであり、今後残っていくサイトはそういう方向になっていくと思います。 日本語紹介ページ→https://www.homify.jp/ideabooks/20748/5 追記→https://www.homify.jp/ideabooks/20709/si-house 外国語版→https://www.homify.co.uk/ideabooks/12803/minimalism-with-a-japanese-edge…