じちんさい

M2-houseの地鎮祭を行ないました。約2年半、ついにここまでたどり着いたという感じです。 時間がかかることは決していいことでは無いけれど、ただ無駄に過ごしてきた訳でもない。なやんで、もがいて、知恵をしぼって、今の自分にできる最善のモノを。泥臭くても最高のものができるならば、それが何より大事。でも、どんなに僕が価値を信じてつくった建築であっても、理解されなければそれは虚しいただの建設。設計を依頼されるということは、その人を思いながら建築を考えるということ。建築家としてどう振る舞うかも重要だけど、やっぱり、その人が何を望み、どうなりたいのか。そして、そのクライアントの期待をわずかでもいいから、超えていきたいと常に思う。そうやって一つ一つ丁寧に作ることが、僕の人生そのものだ。できた建築に、またクライントご家族の人生が絡み合って・・・そしていい思い出を残していけたら、それは素敵なこと。そうなれるように、もうひとがんばり。思考との格闘から物質との格闘へ・・・。…

kanazawa

金沢に行ってきた。21世紀美術館は僕の建築家人生のスタートとほぼ同時期に完成しているので、特別な思いがある。もう何度も訪れているが、娘も一緒なのは9年ぶり。今回は事前に図面を読み込んで、新たな感覚で挑んでみた。2004年竣工なので、もう15年になるが今でも輝いて見えるのが嬉しい。平面にこだわるSANAAらしく、「まる」というアイコンは地図で見ても異彩を放つ。これだけの大きな「まる」は、ありそうで無い。大型連休の真ん中で混んでいるのは予想していたが、想像以上の人混み。長い行列に並んで有料スペースを見る元気はなく、無料スペースで建築を体感。こんな建築を無料でいつでも体感できる金沢市民に軽い嫉妬を覚えながら早々に切り上げて、別の場所へ。午前中は兼六園を見ていたのだけれど、金沢城公園の玉泉院丸庭園にも行ってみた。そしてそこから、ひがし茶屋街へ。日本庭園や伝統的な文化や建築と、近代建築の美術館や先鋭的アートが共存している金沢に、あらためて感心します。その懐の深さをもう少し長野にももってもらえたらいいのになぁ。…

けんちくのはじまり

気がつくと冬の気配が遠ざかり、春の足音が聞こえる今日このごろ。少しだけ、けんちくのはじまりが見えてきました。まだまだ予断は許せないけれど、どうにかなりそうなところまではたどり着いた感じ。もしかしたら、当事者(クライアントを含め)以外にはこの「悶々」とした日々を過ごした気持ちは理解されないかもしれないし、そんな当たり前のことを自慢げに語られても・・・と思うかもしれない。でも、限られた予算のなかで最大限の価値をという永遠の課題は、突き詰めればブラック企業のような過酷な労働だったり、不当な待遇を強いることにつながるわけで、そんな状況を変えるためには、少しでも新しい提案を受け入れる柔軟性を持っている人たちと仕事をしていかなければ、先はない。少なくとも僕の立場はクライアントの利益を高めるために存在はしているが、それが全てではない。社会的に意味のある活動をしたり、僕自身の作家としての仕事を全うすることが大前提だと思っている。そういう思いが理解できる人たちとモノを作っていけるといいが、そんな人に出会える確率はあまり高くはない。ただ、悲観もそんなにはしていない。それは今までの僕の活動を応援してくれる人たちもいるからだ。「あきらめない」ことを実行することは、口で言うほど簡単なことではない。結果が見えて…

初詣 2019

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。今年は、初めて(初詣として)善光寺に行きました。年末にたまたま善光寺に立ち寄ってみたら、観光客の賑わいぶりにびっくりしましたが、その賑わいがすごくスポット的で少し離れると閑古鳥が鳴いているという状況にまた驚いて。じゃあお正月はどうなの?と思ったら、善光寺に初詣は行ったことがないということに今さら気づきました。もう長野に住み始めて長いんですけど・・・。 トップの写真が山門で、回廊に上がれるということで、早速拝観しました。内部は写真撮影不可ですが、景色はよろしいとの事。初めて見る眺めと木造の回廊の軽快さが気持ちイイです。あらためて立派な木造建築群です。社寺建築も少しだけ設計経験あるのですが、これだけ大きいとどうなるのか想像つきません。唐突ですが、今年はいい年にするぞー!…

「SI-house」取材訪問

なかなか新作がつくれていないのですが、今年ももうすぐ終わりそうです。 多作ではないのは自覚しておりますが、ますます長期化傾向です。 まぁでも急いでも仕方ないので、イイモノをつくるという目的だけは見失わなければ あとはどうでもいいかなと思う今日このごろ。 とある雑誌の取材で「SI-house」へ。 天気が心配だったのですが、晴天に恵まれて、絶好の建築日和。 この日のために、清掃や片付けをしていただいたクライアントご夫婦には本当に感謝です。 建築家が住宅を作品として発表したり、語ったりすることを批判する意見もありますが 僕はむしろ積極的に作品として考えたい。 建築のことを考え、つくることでしか表現できない思いがあるとすれば それを、作品と呼ぶ以外になんと呼べばいいか、僕には思いつかない。 その思いを汲んで建築を大事に使ってくれるのならば、それが一番嬉しい事だし、大事なことではないだろうか。 そして、どんなモノやヒトも愛情をかけられるということが、何よりの存在価値なのだと思うから。 愛に溢れた空間は、たとえ関係のない他人だったとしても、その幸せ感は伝わると信じたい。 そういうクライアントを見ていられる僕は、本当に幸せだ。 今の僕の目標は、世代を超えて愛されるものを作りたい。 僕が絶対に会う…

飛距離

僕の生まれは、北海道である。 北海道というと訪れたことがない人達は、”北の国から”のようなイメージを想像する人が多いようですが 実家の周りには、あんな大草原は全くなくて、むしろ田んぼすら珍しいような住宅街でバスや地下鉄で 30分も移動すればススキノに行けるくらいのところ。 そこそこ都会で僕がいた頃は150万都市で、今は200万人に手が届きそう。 少子化の時代にこれだけ人口があるのは立派です。 僕は地元の高校を卒業して上京したので、もう人生のほとんどは札幌以外の思い出しかない。 そして、とうとう両親もいなくなり、実家も処分することにした。 地元と言ってみたり、故郷と言ってみたり、様々な表現があるけれど、そういう郷愁的な思いを 今までずっと、なんとなく否定しながら生きてきた。 建築は土地に根ざして建たざるを得ないという宿命がある。 だからこそ、インターナショナルスタイルという潮流が生まれ、メディア的な建築手法が生まれた。 でもそこから歴史は進み、どんなにインターナショナルであろうとも、ヴァナキュラー(土着的)な装いからは逃れられない ということに改めて突きつけられていると今は思う。 かつてのインターナショナルだと思われていた巨匠も、実はローカル・アーキテクトであったに過ぎないという人もい…

2003年9月号

ブログでも度々登場している美術館、「安曇野高橋節郎記念美術館」の新建築掲載号は 2003年の9月号、今から15年ほど前になります。 ちなみに画像は同号掲載の槇事務所設計の福井県立図書館です。 建築専門誌「新建築」を毎号財布と相談しながら定期購入していた時代でしたが、さすがに15年も経つと結構な量となり スキャンをして電子化しました。 資料として確認するために、久しぶりに誌面を見てみると、どれも挑戦的で刺激的な建築がありました。 青山の「プラダ」や原さんの「キナーレ」、隈さんの「梅窓院」、もう亡くなってしまいましたが小島さんの「スペースブロックハノイ」 という錚々たるラインアップは、もう当時の僕にはたまらないものでした。 その頃の自分は、ちょうど建築を志して作れるものは何なのかを模索しながら憧れと現実のハザマで揺れ動いていました。 見るもの全てが眩くて、誌面にある建築のほとんどを現地で確認して、写真と本物の迫力の違いを感じ 想像を超えるパワーに圧倒され、より強く建築の魅力にハマっていました。 そこには、僕の原点のような建築がたくさんあって、今になって自分の創る建築観のルーツのように感じます。 誰しも、どんな世界であっても、最初は魅せられることから始まり、知識を深めながら世界を知り、そ…

SI-house写真集 重版

「SI-house」写真集の在庫がなくなってしまったので、重版しました。 初版当時は、なかった各賞受賞のキャプションを追加しました。 以前の印刷環境から変わってしまったようで、仕様が特殊で対応出来る業者が限定されてしまいました。 紙の質感が少し違ってしまったのですが、何とか満足のいく仕上がりになりました。 住宅は作品ではないとか、建築と住宅は違うとか、そういう批判をする人が大勢いることを 知っているしその意見が全て間違っているとは思いません。 ただ、僕は住宅という建築の素晴らしさを知っていて、作品としての住宅が 生活を豊かにできるということを信じています。 僕の設計した住宅が、性能もデザインも優れていて、なおかつ他と比べてコストも安いならば それは画期的な発明であるし、それを広く一般化することは社会にとっても重要だと思います。 世の中に100%の真実は存在しないと僕は考えます。 同じ時間を共有した他人同士が、同じものを見て、同じ現象を感じても 自分の感情や意味が、その他人と同じであるという前提は、100%ではない。 全く違うことは想像しにくいが、そうなることも考えられるし、90%以上同化している可能性もある。 他人の視点を想像することは出来ても、完全に自分のものにすることは究極には難…

そらしま

事務所のすぐ近くに古道具屋さんがあるらしい。 ということを、妻が発見したので、早速いってみた。 それは、僕の日常の風景の中に溶け込んでいて、全くお店らしくない顔をして、佇んでいた。 でも、お店「らしさ」って何?と自問すると、途端に言葉に詰まってしまうのだけど。 入口は事務所になっていて、唯一のあったかいところ。 ココ以外は、とても寒くて外より寒い感じがするのは、光のせいだろうか。 最近の性能重視の空間とは違う、身軽な空間の優しい光がここちいい。 でも、ここちよさは、人それぞれ違うと僕は思う。 気温や空気が数字に変換されて評価することも大切かもしれないけれど 好きな写真が一枚あるだけで、その空間がここちいいモノに昇華してしまう人もいれば 単なる不動産的価値しか感じ取れない人もいる。 古道具だって、ただ古いだけで使えないーとか、汚いなーと思うのか、こう使ったらカワイイねーとか 無垢材削ったら、新品だよねーとかって思うのかで価値は異なる。 建築家の内藤廣さんの受売りだけど、今使ってるその辺の割り箸だって、保存していれば100年後には文化財になるらしい。 僕には、その瞬間を見ることは出来ないけどね。 古道具を使いこなすのは、それだけでかっこいいーと思います。 究極の古道具だったカルマンギアを…